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陰翳礼讃

こんにちは。

 

 

美紗です。

 

 

 

谷崎潤一郎は、"In Praise of Shadow" 「陰影翳礼讃」の中で

1933年(昭和8年)当時西洋近代化に邁進していた

日本の生活形態の変化の中で失われていく

日本人の美意識や趣味生活について

 

 

以下のように語りながら、

最後には文学論にも繋がる心情を綴っています。

 

 

 

「今明治の近代化以降の日本では、

純日本風の家屋を建てて住む場合、

近代生活に必要な設備を

斥けるわけにはいかず、

 

 

座敷は不似合いな電線コードやスイッチを

隠すのに苦慮し、扇風木の音響や

電気ストーブを置くのにも調和を壊してしまう。

 

 

そのため「私」(谷崎)は、高い費用をかけて、

大きな囲炉裏を作り電気炭を仕込み、

和風の調和を保つことに骨を折った。

 

 

タイルは合う筈もない。

今も残る京都や奈良の寺院では、

母屋から離れた植え込みのに、

掃除が行き届いた厠があり

 

 

 

自然の風光と一体化した風情の中で

四季折々のものいあわれを感じ入りながら、

朝の便通ができる。

 

 

漱石先生もそうした厠で

毎朝瞑想に耽ながら用を足すのを

楽しみにしていた。

 

 

我々日本人の祖先は、

すべてのものを詩化し、

不潔である場所をも却って

 

 

風流雅致のある場所に変貌させ、

花鳥風月の懐かしみの連想へ

誘い込むようにしていた。

 

 

西洋人がそれを頭から不浄扱いに決めつけ、

公衆の前で口にするのも忌むのに比べ、

日本人は真に風雅の骨髄を知っていた。

 

 

近代的なホテルの西洋便所など

実に嫌なものである。

 

 

 

照明や暖房器具、便器にしろ、

近代文明の利器を取り入れるのには

むろん異論はないが、

 

 

何故それをもう少し日本人の習慣や

趣味生活に合致するように

改良しないのか疑問である。

 

 

行燈式の照明器具が流行るのは、

我々日本人が忘れていた「紙」の温かみが

再発見されたものである。

 

 

もし東洋に独自の別個の科学文明や

技術が発達していたならば、

 

 

もっと我々の国民性に合致した物が生れ、

今日の有様とは違っていたかもしれない。

 

 

仮に万年筆というものを、

日本人や志那人が考案すれば、

穂先は必ず「毛筆」にしたであろう。

 

 

そしてインクも「墨汁」に近い液体で、

それが軸から毛の方に滲むように

工夫したことだろう。

 

 

 

 

紙もけばけばしい真っ白な西洋紙ではなく、

字や仮名文字に対する愛着も強まったであろう。

 

 

 

 

西洋では食器でも宝石でも

ピカピカに研いたものが好まれ、

支那人が「玉」(翡翠)という

鈍い光の石に魅力を感じたり、

 

 

 

 

日本人が水晶の中の曇りを

喜んだりするのとは対照的である。

 

 

東洋人は、銀器が時代を経て

黒さびく錆び馴染む趣を好み、

人間は本来、東洋人が愛でたような

 

 

自然の手垢や時代の風合いのある

建物や器に癒され、神経が安まるものである。

 

 

病院なども、日本人を相手にする以上、

真っ白な壁や治療服をやめて、

もっと温かみのある暗みや柔らかみを付けたらどうか。

 

 

最新式の設備のアメリカ帰りの歯医者に行って

怖気を感じた「私」は、

 

 

昔風の時代遅れのような日本家屋の

歯医者の方に好んで通った。

 

 

日本の漆器や金蒔絵の道具も、

日本の「陰翳」のある家屋の中で映え、

より一層の美しさを増す。

 

 

我々の祖先が作った生活道具の装飾に

基づいている。日本人は陰翳の濃淡を利用し、

その美を考慮に入れ建築設計していた。

 

 

美は物体にあるのではなくて、

物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にある。

 

 

 

日本が西洋文化の行く手に沿って歩み出した以上、

日本人の趣味生活や美意識が軽んじられ

薄れてゆくのは仕方がないことであるが、

 

 

我々日本人に課せられた「損」は

永久に背負って行くものと覚悟しなければならない。

「私」は、日本人が既に失いつつある。

 

 

「陰翳の世界」をあの領域に

少しでも呼び返してみたい。

 

 

壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押しこめ、

無用の室内装飾を剥ぎ取り、

試しに電灯を消したそんな家(文学)が

一軒くらいあってもよかろうと「私」は思った。」

 

 

関東大震災をきっかけに、

東京から関西に移住した谷崎潤一郎は、

それ以降もずっとその地方で暮すことになったが、

それは震災後の東京から

 

 

昔の江戸情緒が

失われたことへの不満も大きかった。

 

 

震災直後に住んでいた借家は

洋風建築の家であったが、

1928(昭和3年)頃は、兵庫県武庫群

岡本梅ノ谷(現・神戸市東灘区岡本)に

 

 

和洋中が混ざった新居(「鎖瀾閣」)を建築していた。

そこでは谷崎の和洋中に引き裂かれている

美意識が垣間見られ、

 

 

その家で執筆された『蓼喰うふ虫』では、

洋から和へ移行していく

谷崎の意識の変化が読み取れる

 

 

その後にこの評論『陰翳礼讃』や

傑作の『春琴抄』が書かれ、

その2年後から『源氏物語』の

現代語訳『潤一郎訳源氏物語』の執筆を始めている。

 

 

ある建築家はこう書いています。

 

「谷崎は、照明が発達して身の回りが

どんどん明るくなり、その中で日本人が

培ってきた感性にそぐわない環境に

なってきていることを憂いている。



乾先生の書いた「照明と視環境(理工図書)」という本に、

1900年から1970年代までの事務室の推奨照度のグラフが

載っています(p47)。このグラフを見てまず気づくのは、

 

 

陰影礼賛が書かれた昭和8年には

電球はありましたが蛍光灯は発明される直前。

推奨照度はアメリカが200lx(ルクス)程度であり、

日本とイギリスは80lx ほど。

 

 

これは相当暗いですよね。

日本はそんなに明るくなかったのだと思います。

昭和50年頃には800lx〜1000lxでした。

 

 

夜7時過ぎ。

私が文章を書いている

自席の机上面照度は270lx。

ちょっと暗めの印象です。

 



照明を研究している後輩の発表を

建築学会で聞いたのですが、

照明環境の好ましさは明るさの分布とは関係なく、

明るさそのもの(照度)とばっちり相関という結果でした。

 

 

谷崎の時代と現代ではレベルが違うけれども、

放っておけば、人々は明るさを求め続ける

ということになるのだと思います。

 


でさて、印象評価実験をやってみると、

まず間違いなく、明るい方が暗い方より

好まれるという結果が出ます。

 

 

別に照明の印象だけではなくて、

色の印象でも、街並みの印象でも、

人の印象でもそうです。

なぜ人は明るさを好むのでしょう。

 


それは不安感で説明されることが多いようです。

田舎育ちの人ならわかると思うのですが、

闇の恐怖というのは、それはそれは大変なものです。

特に一人であれば、なおさら。

 

 

ちょっとした物音にもびくついてしまう。
人間というのは元来弱い生き物で、

道具を使ったり、集団で生活したり、

知恵を使うことでそれを補ってきました。

 

 

 

明るいというのは、周りの状況をよく知ることが

できますから、対処がしやすい。

危ない場所には近づかないなんていうことも、

明るいからこそ確実になるわけです。

 

 

それに対して、闇というのは

人間の弱さを際だたせる。

だから人は明るさの方を好むと。
これは感覚としては非常に納得できます。



このように明るさは好まれています。

それなのに、「暗さ」を云々することには

意味があるのでしょうか。



こう問えば「省エネルギー」が

真っ先に出てきそうです。

地球環境問題が顕在化してきている今、

これは大事な問題です。

 

 

しかし、谷崎はこの観点から暗さを

考えているわけではありません。

ここではちょっと脇へ置いておきましょう。



暗さを考えるとき、

明るさとコントラストを織りなす

「陰」の存在を考えるというのがあります。

 

 


色を使う建築家というのは、

あまりいません。

 

 

建築というのは元来、

素材の色に縛られていましたから、

そんなに色遣いを楽しむことは出来ませんでした。

 

 

確かにそうなのですが、

塗料が発達して様々な色を使えるようになっても、

テーマパークとかショッピングセンターなどの

ごく一部に色が目立つ建築があるだけです。

 

 

(これは、色を使いこなすことが

決定的に難しいからだと思います。

看板とか建築とか、色が目立つものには

醜悪なものが多いでしょう?)

 


それに対して、光と陰を意識した建築は数多い。

教会建築などは大概そうですし、

コルビュジェなども相当考えていると思います。

 

 

 

茶室とかもそうかもしれません。

光は必要なものだから取り入れなくてはならない。

 

 

何より、光がなければ建築も見えない訳で。

しかも、天気によって時間によって

変化する光はドラマティックな演出家でもあります。

 

 


光と陰を演出するには、

テクスチャと色が重要だと思います。

ざらざらして、白っぽくないといけない。

 

 

のっぺりした肌は無機質ですし、

色が付いていると光と陰の効果が

弱まってしまいます。

庇の下をすり抜け、障子で透過された光は弱々しい。

 

 

その風情を楽しむ日本の建築では、

土壁にする必要があったのだ。

 

 

そんなことを谷崎は書いています。それは頷けます。

光を楽しむために必要な心配りだと。



どうも、明るいだけだと、

憂いや情感といったものが

欠けるような気がします。

 


 K先生に紹介されて出かけた

大阪市立東洋陶磁美術館には

国宝の油滴天目茶碗があります。

 

 

実は、1年ほど前に東武美術館で

開催された展覧会でお目にかかり

感動した一品だったのに今回は

いけませんでした。

 

 

明るすぎるのです。

 

 

わざわざ自然採光にしているの

あの黒い茶碗は暗くないと良くない。

そう思ったのでした。

 

 

ゆらゆら揺れる蝋燭の光で

見たらいいだろうなあと。

 

 


先ほど憂いとか情感と書いたけれど、

色気とか侘び寂とか、風流とか、

こういうものは微かな心の動きなのであって、

刺激が強すぎては感じられない。

 

フェヒナーの法則からもそう言えるでしょう。
明るい美しさは、大柄なのです。

誰にでもわかる、しかしややもすると

単調になりがちな。

 



これまで書いてきたように、

暗さの文化というのは大人の文化なのです。

闇と紙一重の世界を楽しむことができるのは、

闇と対処できる自立した心がないといけません。

 

 

 

微かな違いを読みとる心の機微を

持ち合わせていなければなりません。

つまりは、余裕がなければなりません。



住都公団からの依頼で、

居間の照明環境の印象評価実験を

やったことがあります。

 

 

様々な生活行為に

向いているか向いていないかを

判断してもらったのですが、

本を読むとか文章を書くとか、

 

 

テレビを見るときなどは明るい方が

いいという結果が出ました。

 

 

それに対し、お酒を飲む、音楽を聴く

などというときには照明を暗くした方が

良さそうでした。

 

 

ついでに、白熱電球

温かい光の方がいい。

 


どうでしょう。余裕がないと

暗さが楽しめないような気がしませんか。

暗さを楽しむためには、

生活を変える必要があるのです。

 

 

情報をたくさん取り入れて、

その刺激を楽しむやり方では

暗さの魅力はわかりません。

情報量を落として、余韻を楽しむ。

 

そんな生活を送る人にこそ、

暗さはやさしく語りかけてくれるのではないでしょうか。

 



残業時間を数えて褒め称えているうちは、

暗さの復権はあり得ないと思うのです。」



とある建築は語っています。

 

 

一昔前は、白熱電球で室内は心休まる

空間でした。

 

 

 

東京でも「節電対策」で

店内が薄暗くなった時期がありました。

それでも何の違和感がありませんでした。

 

 

若い人達は違ったかもしれませんが。

もったいない

こんにちは。
 
 
美沙です。
 
環境分野で初のノーベル平和賞を受賞した
ケニア人女性、Wangari Muta Maathai ワンガリ・マータイさん。
マータイさんが、2005年の来日の際に感銘を受けたのが
「もったいない」という日本語でした。

 

環境 3R + Respect = もったいない

Reduce(ゴミ削減)、Reuse(再利用)、

Recycle再資源化という

 


環境活動の3Rをたった一言で表せるだけでなく、
かけがえのない地球資源に対する

Respect(尊敬の念)が込められている言葉、

「もったいない」。

 

 

マータイさん

この美しい日本語を環境を守る
世界共通語MOTTAINAIとして

 

広めることを提唱しました。

こうしてスタートした

MOTTAINAIキャンペーンは、
地球環境に負担をかけない

 

 

ライフスタイルを広め、
sustainable ,circulatory society

 (持続可能な循環型社会)

構築を目指す世界的な
活動として展開しています。

 

 

日本から生まれた「もったいない」が今、
世界をつなげるアイコトバ、MOTTAINAIへ。

 

 

 

ワンガリ・マータイさん(1940-2011)

Green Belt Movement (グリーンベルト運動)創設者。

 


ケニア共和国元環境・天然資源省副大臣

生物学博士。

MOTTAINAIキャンペーン提唱者。
国連平和大使。旭日大綬章受章者。

 

 

ワンガリ・マータイさんは1940年、

ケニアの中部、ニエリの農家に生まれました。

 


6人兄弟で家は決して裕福ではなく、

 他の多くのアフリカ女性と同じように

教育を受けられる環境にありませんでしたが、

 

 

 兄が両親を説得して学校に通い、

60年に政府留学生に選ばれました。

その後、米ピッツバーグ大学で修士号を取得。

 


ドイツ留学を経て、71年に

ナイロビ大学で生物分析学の博士号を取得。

 

 

一方でマータイさんは、

祖国の貧困や環境破壊に心を痛め、

1977年貧しい女性たちと

「グリーンベルト運動」という植林活動を開始。

 

 

政府の弾圧を受けながらも、

運動にはこれまでに延べ10万人が参加し、

植えた苗木は5100万本に上ります。

 

 

マータイさんは、2002年に国会議員に初当選。

03年には環境副大臣に任命されました。

 


04年、環境や人権に対する

長年の貢献が評価され、

環境分野で初めて

 

 

、アフリカの女性としても初めて

ノーベル平和賞を受賞しました。

 

 

09年国連平和大使に任命され、

「環境と平和」の使者として

重責を果たされました。 2011年9月25日永眠。

 

 

 

 

Marina Silva マリナ・シルバさんについて

 

MOTTAINAI キャンペーンを

記念して事務局は、2015年10月10日から

17日までブラジル・アマゾンの環境保護活動家で

 

 

環境大臣のマリナ・シルバさんを日本に招き、

上智大学で講演やシンポジウムを開催したほか、

 

 

東日本大震災の被災地の宮城県名取市

熊本県水俣市、北九州、広島市など

訪問してもらい市民との交流を深めました。

 

 

シルバさんは東京・竹橋の

バレスサイドビルにある「MOTTAINAI STATION&Shop」

:外部リンク」も訪問、

 

 

4Rをコンセプトにした商品を

興味深そうに見学し、

 

 

 

お気に入りの湯たんぽなどを

買い求めていました。

 

 

シルバさんは、「MOTTAINAI」の言葉について

「新たな発展モデルを創る心の支えとなる言葉です」

と強く賛同、故ワンガリ・マータイさんの後継者として

キャンペーンを世界に広げていくことを約束してくれました。

 


 また、日本のさまざまな土地を訪れ、

市民と交流したことについて

「忘れ得ない体験となりました。

 

 

これからも日本の皆さんとの友好を

さら深めていきたい」と語っていました。

 

 

事務局としても

今回のシルバさんの初来日をきっかけに、

ブラジルの皆さんとの交流を深め、

 

 

ケニアとともにブラジルでもシルバさんの

助言を得てアマゾンなどの

環境保護のお手伝いをしていきたいと考えております。

 

すぐれた環境保護活動を表彰する
モナコ大公アルベール2世財団の
「気候変動賞」を受賞したシルバさん(左)と
記念撮影するノーベル平和賞受賞者の
 
ワンガリ・マータイさん(右) 2009年10月、モナコで。(カルロス・ビセンチ氏撮影)

Green Belt Movement グリーンベルト運動とは

ワンガリ・マータイさんが1977年から

非政府組織(NGO)として始めた植林活動。

 


たった7本の木を植えることから

スタートしたこの運動は、これまでに

ケニアをはじめとするアフリカ大陸全土で

約5100万本もの木を植えてきました。

 

 

植林には貧困に苦しむ女性を中心に

のべ10万人が参加。

 

 

 

環境保全にとどまらず、植林を通じて

貧困からの脱却、女性の地位向上、

ケニア社会の民主化にも大きく寄与しています。

 

 

また、ワンガリ・マータイさんは

グリーンベルト運動の中に「MOTTAINAIチーム」を設け、

ケニアで大量にゴミとなっている

プラスチック袋(レジ袋)の削減を進める一方、

 

 

09年4月、ケニア中央部で毎日新聞社と共同し、

日本の一般市民の募金、

企業の支援による植林事業

MOTTAINAI GREEN PROJECT ~緑のMOTTAINAI~」を開始。

 

 

ワンガリ・マータイさんのふるさと・ケニアで

植林する活動が続いています。

 

 

東アフリカに水と緑を取り戻すのが目的で、

住民の積極的な協力もあり、

標数を上回る植樹活動が続いています。

 

 

MOTTAINAIキャンペーンでは、

企業からの協賛をはじめ、オリジナル商品、

フリーマーケットなどの収益金の一部や、

 

 

クリック募金で集まった募金を

「グリーンベルト運動」へ寄付するなど、

様々な形でワンガリ・マータイさんの

植林活動を応援しています。

 

 

MOTTAINAIのロゴについて

 

この10年ほどで環境問題を巡る取り組みは
どんどん盛んになってきました。

 

 

一方で最近、
「環境」ときいてもあまりトキメキがなく、
いまひとつ自分のことじゃなくなっているな

という気がします。

 

 

環境うんぬんはとりあえず脇に置いておいて、
もうすこしキモチによったデザインはないものか。

 

 

そもそも「モッタイナイ」はキモチの言葉です。

それってどういうキモチなの?
ということが、シンプルにわかるロゴを

ひとつ考えました。

 


フォーマルだけどやさしい雰囲気を

意識した紡錘形のシンボル。

 

 

これからの環境活動は、
初期のような時代のエポックとしてではなく
ふだんの生活の中で、

 

 

「モッタイナイ」は、
これからもっと大切になる言葉。

 

 

強く主張するのではなく、奇をてらうでもなく
素直に、シンプルに、気がつくと

このロゴが入っている。

 


そんなふうに使われていくことを

期待しています。

 

 

英語の繋言葉

こんにちは。

 

 

美沙です。    

 

 

「ちょっと待って。」        

「えーと、あれって何ていうんだっけ?」

 

 

会話の相手は、さっきから

あなたの返事を待っている様子。

ここで焦ってしまい、

何も言えなくなって頭が真白に。

 

 

そんなときのために便利な

"Fillers"/Hesitation Devices"

つなぎ言葉」をいくつか紹介しておきます。

 

 

"Let me see." 「えーと。」

 

"Let me think about it." 「ちょっと考えさせて。」

 

"Just a moment."「ちょっと待って。」

 

"How can I say ?"「何て言ったらいいかな?」

 

"What should I say ?"「何て言うべきかな?」

 

"in short/in a word/thst is (to say)"

 

「つまり・・・」

 

"like I said・・・" 「前にも言ったように・・・」

 

"Something like that・・・" 「そういう感じの・・・」

 

 

 

「あのね。」という言葉にならないため息のような

単語:

 

 

 mmm・・・口を閉じてから鼻から息と声を出すように「フーン」

 Ummm・・・一定音で「アーン」
 Uhh・・・ 低い声で「アー」
 Err・・・舌を奥に置いて出すRの音を加えた「アー(R)」
 Well・・・ 「ウェール」
 So・・・  「ソーゥ」
 You know ・・・ 「ユーノウ」
 I mean・・・ 「アイミーン」

質問を受け答えを考えている時
 
"Let me see. " 「えーっと」
"Let's see. " 「えーっと」
"Good question." 「いい質問ですね。」
"That's an interesting /difficult question."
「面白い、難しい質問ですね。」
 
単語がとっさに出てこない時
 
"How do(can) I say ?" 「何て言うんだっけ?]
"What's the word ?" 「何て単語だったけ?」
"What you may call it ?"「何て言うんだっけ?」
"I'm not sure how to say in English ?"
「英語でなんでしたっけ?」
 
説明が上手く出来ない時
 
"(It's) like・・・"「のような」
"(It's) kind of ・・・"「のような」
"(It's) sort of・・・" 「ような」
 
 
 
説明が難しく相手に言いたい事をくみ取って欲しい時
 
"Where should I start ?"「どこから始めようか?」
"How should I put it ?" 「何ていったらいいかしら?」
"What the best way to put it." 「何て言うのが一番いいかな?」
"How can I explain this ?" 「何て説明したらいいかしら?」
 
 
こうしたフレーズを覚えておけば
会話を続けていけますので
是非、使ってみてください。
 
 
合間を入れても、かえって自然では
ないかしら?
 
 
プレゼンの時とは違い
よどみなく流暢にではなくとも
相手に分かりやすく伝える事
が大切ですから。

頼むときのフレーズ

こんにちは。

 

美沙です。

 

 

英語で何かを頼むときも、

失礼にならないように

守っておくべき3つのルールがあります。

それが、下記の3つです。

 

 

・ 1、 命令形を避ける(命令形は相手の意思を尊重しません。)

・ 2.疑問形を使う(相手に選択肢を)

・ 3.仮定法や助動詞を用い、

    自制を過去や進行形にする(間接的な表現に)

 

 

日本人英語学習者には、

命令文にplease を付ければよいと

誤解している人がいますが、

 

 

pleaseを付けても

命令文でしかないので、

言われた人はあまりよい気持ちがしません。

 

 

「電話をください。」と言う場合

の表現の違い

 

1.Please call me.

→ Please をつけても、命令形にはかわりがありません。

 

Will you call me ?

→ 疑問文という事で、命令形よりは丁寧です

 

 

3.Can you call me?

→ 相手(友人)の意思を聞くWillより身体的能力を聞くCan の方が丁寧です。

 

4.Would you call me?

→ 2.の時制を過去形にしたことでより間接的になり丁寧です。

 

5.Could you call me?

→ 3.の時制を過去形にしたことでより間接的になり丁寧です。

  (初対面の人、目上の人に)

 

6.I wonder if you could call me.

→ 仮定法により間接的で丁寧度がさらに高まります。

  (人間関係に配慮が必要な人と)

 

 

7.I was wondering if you could call me.

 → 過去進行形により、6よりさらに丁寧表現になります。

  (人間関係に配慮が必要な人と)

 

 

まずは前置きから

話しかける

質問や頼み事をする場合、

たいていは声をかけるところから

入ることになるでしょう。

 

 

相手に時間を割いてもらうことに

なるので、「すみませんが」

という一言から始めましょう。

 

 

Excuse me.
すみません

 

I’m sorry to bother you, but…
お忙しいところ失礼ですが

時間の都合を尋ねる

用件を切り出す前に

相手に時間があるかどうか

尋ねるように心がけてましょう。

 

 

Can I just interrupt you for a second ?

 (少々お邪魔してよいでしょうか)のような

表現が適切です。

 

 

この interrupt は「中断する」という意味です。

お願いごとを伝える時間を

頂きたい旨の表現です。

 

 

Do you have a minute? と尋ねる言い方でもよいでしょう。

 

Can I just interrupt you for a second ?
少々お時間いただいてもよろしいでしょうか

 

Do you have a minute?
ほんの少しお時間ありますか?

 

 

お願いがあることを伝える表現

 

「ちょっとお願いしてもいいですか」

という場合の「お願い」は

favor と表現できます。

 

 

favor は基本的には

「好意」「親切」「親切な行為」

という意味ですが、

 

 

(do +人+ a favor)で「人に親切な行為をする」、

つまり「人の頼みを聞く」という意味で使えます。

ask +人+ a favor)は「人からの好意を求める」

すなわち「人にお願いをする」という意味で使えます。

 

 

Would you do me a favor? I need some help.
お願いしてもよろしいですか?

ちょっと助けて頂きたいのです

 

 

May I ask you a favor?
お願いを聞いていただけますか?

 

 

I have a favor to ask you.
お願いがあります

丁寧な依頼表現

疑問形を使った依頼表現

依頼表現には主に疑問形が使われます。

基本的には、婉曲的になるほど、

また長くなるほど丁寧さが増します。

 

 

上記で述べたように

現在形であるCan you~?

またはWill you~?よりも、

 

 

過去形のCould you~?

またはWould you~?のほうがより丁寧です。

 

 

疑問形にするときは語尾にpleaseをつけると

ぐっと礼儀正しくなります。

 

 

Will you check this?
これを見てもらえますか?


Can you have a look at the data I sent you, please?

お送りしたデータを見ていただけないでしょうか?



Could you give me a copy,please ?     

  一部いただけますか?


Would you be able to come with me? 


私と一緒に来ていただけますか?


Would it be possible for you to do this by 3pm?
3時までにやっていただくことはできますか?

 

「mind」や「trouble」を使って表現する

Do you mind ?

Would you mind ~? といった表現の mind は

「嫌がる」「気にする」という意味です。

 

 

直訳では「~するのは嫌ですか?」ですが、

「お嫌でなければお願いしたい」

という意味で使います。

 

 

返答としては、承諾はNO、

拒否をYESで伝えます。

お願いされる側で Do you mind ~? と尋ねられ、

 

 

了承する場合には、No, of course not.

(いえいえ、もちろん気にしません)と

否定で答えるかNo problem.(大丈夫ですよ)

と言いましょう。

 

 

「いいですよ!」というつもりで

Yes! と答えると「嫌です!」

という意味になってしまうのでご注意を。

 

 

同じような表現で

Would it be too much trouble for you to ~

のtroubleは「面倒」「迷惑」という意味です。

 

 

too  to は「~すぎて~できない」

という意味の慣用句。

 

 

直訳すると「~する事は余りにも迷惑でしょうか?」

となりますが、こちらも「ご負担、ご面倒でなければ

お願いしたい」という意味になります。

 

 

Do you mind passing me a pen?
ペンを渡してもらえますか?

 

Would it be too much trouble for you to take a look at this letter?
ご面倒でなければこの手紙を見てくださいますか?

 

I was wondering if ~を使った表現

 

I was wondering if ~(~だろうかと思っていた)は

頼み事や質問をするときに

よく使われる丁寧表現です。

 

 

wonderは「疑問に思う、知りたいと思う」

という意味で、過去進行形にすることで

「過去にそう思っていた」という意味になります。

 

 

自分の中ですでにある程度質問を

逡巡させてから相手に尋ねている、

という印象を与えるため、依頼への「ためらい」が

感じられかなり丁寧な表現となります。

 

 

I was wondering if there is any chance

you could let me use your computer?
もし良ければあなたのパソコンを

使わせてほしいのですが

 

 

I was wondering if it would be possible

for you to proofread my draft?
私の原稿を校正していただけないかと思いまして

 

if を使った表現

依頼表現で仮定法のifは良く使われます。

依頼を一方的に押し付けるのではなく

「あくまでも相手が良ければお願いをする」

 

 

という相手への配慮が伝わりより丁寧いになり、

「もしやっていただけるのであれば有り難い」

というニュアンスがでます。

 

 

「~していただければ感謝します」という表現は

柔らかく依頼をするのに便利な言い方です。

appreciatedは「(物事)に感謝する」で、

主語がIではなくItになるのに注意しましょう。

 

 

It would be grateful if you could read the handout.
資料を読んでいただけると助かります

 

 

It would be appreciated if you could tell to

the manager about the problem.
部長にその問題について話していただけると助かります

お礼の表現

頼み事が終わったら、

お礼の言葉を忘れずに。

 

 

 

相手も時間をとって頼みを聞いてくれているので

良い返事・悪い返事に関わらず

お礼を言うのが礼儀です。

 

 

Thank you.
ありがとうございます。

 

Thank you for your time.
お時間ありがとう。

 

That would be great.
そうしてもらえると助かります。

 

That’s so kind of you.
ご親切にありがとうございます。

 

 

I really appreciate it.

感謝します。

 

 

是非感謝の気持ちのフレーズを

適切に使いお互いのコミュニケーションを

深めてください。

 

 

何事もお互いの人間関係の良し悪しから

です。

 

 

島国根性

こんにちは。

 

 

美沙です。

 

 

島国根性(IInsularity)という表現は、

イギリスにもあります。

 

 

島国根性」とは「考え方が均質で

狭量で異文化に対する理解が好くない。」

と解釈出来ると思います。

 

 

果たしてイギリスは当てはまる

のでしょうか?

 

 

日本とイギリスの歴史を

簡単に振替えってみましょう。

 

 

日本で、古記録古事記)が

編纂されるような7世-8世紀紀頃には、

 

 

 

 

イギリスではすでに約5世紀頃から、

アングル人、サクソン人

"Anglo-Saxon"アングロ=サクソン)が

 

 

侵略していて自分達の言語や

文化を強制します。

 

 

 

アングル人の住んだ地域は

アングラランドと呼ばれ、

イングランドの語源となります。

 

 

その間、混血も進みます。

さらに北欧の"Viking"バイキングが

この島を征服します。

 

 

そして1066年には”Normans"ノーマン人(ノルマン人とも)が

英仏海峡を渡って押し寄せてきます。

いまのフランス人です。

 

 

そしてまた混血が進み

イギリス人の祖型に

なるわけです。

 

 

イギリス人の中には

先祖がノルマン系と言う人が

沢山います。

 

 

イギリスの歴史は民族、

文化の「混合」のうえに

成り立っているのです。

 

 

そこが同じ島国とはいえ、

日本の成り立ちと根本的に

異なる点だと考えられます。

 

日本とイギリスの「島国根性」の違い

 

世界にはいろいろな島国が存在しますが

どういうわけか島国根性

もっているのは日本人だ

ということになっています。

 


イギリスも島国ですが、

イギリス人は視野が狭く、外界に対して閉鎖的だ

とは誰も言いません。

 

 

日本で使う「島国根性」の語源は

朝鮮半島における

対日差別の用語として使われた

「島国」と言う言葉を

 

 

戦後の政治評論家などが

日本の文化や考え方を

否定的に論評した時に

比喩的に使われたと推測されます。

 

 

 

この言葉は、日本人が

自分たちのために発明した

自己叱責、自己告発の

言葉であると言えるでしょう。

 

 

確かに日本は四面海に囲まれた島国で

隣国とは海の彼方にあり、車で三十分ほど

走れば国境だというヨーロッパ大陸とは

事情が異なります。

 

 

島国を囲む海を「外界を隔てる壁」
と捉えれば広辞苑の
「他国との交渉が少ないため
視野がせまく 閉鎖的でこせこせした性質」


よく言えば「共同体の中での協調精神、
勤勉、誠実」という島国根性になり
これらは「農耕民的島国根性」と言えるでしょう。

限定空間社会では、
こうした協調精神とともに
勤勉さ、誠 実さが尊ばれます。


見知らぬ土地へ行って一山当てようとか、
人を騙して一攫千金の儲けをあげて、
他国に高飛びしよう、
などということはできません。


狭い島の中で肩寄せ合って
暮らしていくためには、
自分の仕事に精を出し
頑張っていくしかありません。



商売をするにも、一度でも人を騙したら、
すぐに悪い噂が島中に流れ商売は
あがったりになってしまいます。


勤勉さ、誠実さが、限定空間社会で
成功する要因になるのです。



こうして、島国では協調精神、
勤勉さ、誠実さを基調とする
社会が成立しやすいのです。


大陸国のように、
お互いに騙しあったり 猜疑心を持ち
争ったりする事が少ないので、


自ずから豊かな平和な社会と
なりやすいと言えます。

 

それに対し「海洋民的島国根性」と
言えるものがあります。
周囲の海を「海外とつながる道」だと
捉えれば、


その海を通じて外国と
交易をしたり、移住したり、
時には侵略して植民地としたりする
進取の精神が生じます。



海洋的島国根性の代表が
イギリスでしょう。
ヨーロッパの東端の小さな貧しい島から、
世界各地に作った植民地から搾取ました。


15-17世紀から始まった植民地政策が
19世紀までには
世界の7つの海を支配する
大帝国を築き上げました。

 

日本で物部氏が滅ぼされ、

蘇我馬子崇峻天皇を殺し、

 

 

飛鳥の地に多くの寺が建立され、

聖徳太子が「和をもって尊しとする」と

述べていた頃、

 

 

それまでイギリスに住んでいたケルト族は、

大陸から侵入してきた

アングロサクソンにより殺戮されて、

 

 

生き残りはアイルランドあたりの

北方に追いやられてしまいました。

 


アングロサクソンが島を支配して

しばらくすると、九世紀初めには、

スカンジナビア半島からバイキングが

やってきて大恐慌をきたします。

 

 

日本ではちょうど唐の長安に倣って

平安京をつくり、朱雀門と羅城門を結ぶ

朱雀大路大宮人が散策していました。

 

 

 

最澄空海が唐から帰り、

あちこちで蝦夷支配がすすみ、

歴史書「古語拾遺、887年」が

出来上がっていました。

 

 


バイキングは猛々しい荒くれ者で、

掠奪、暴行、破壊、殺戮が

二世紀にわたって

 

 

 

イギリスの隅々まで行きわたりましたが、

アングロサクソンを根絶させることは

出来ませんでした。

 


 一方日本では、11世紀中葉、

かな文字の傑作(源氏物語、枕の草紙、

土佐日記等が次々と生まれ、

 

 

 

 

 

平等院の鳳凰堂が完成し、

比叡山延暦寺の僧兵が

盛んに強訴していました。

 

 

その頃、イギリスでは

有名なNorman Conquest 1066年

「ノルマン人による征服」が遂行されました。

 

 

大陸からノルマン人が大侵入して戦争となり、

王をはじめそれまでの支配者は追われ、

あるいは殺され、イギリスは

ノルマン人の支配下になりました。

 

 

 

そこで民族の大混血が起こり、

また、アングロサクソンの言語と

ノルマン人の言語であるフランス語が、

 

 

それから数百年にわたって混合し、

今日の英語の基をつくることになったのです。


極東の先進国である日本と、

極西の先進国であるイギリスは、

ある意味、人類文明の両極に

あるともいえます。

 


産業革命以来、人類の文明は

飛躍的な変化を遂げましたが、その中心には

イギリス的な島国根性(異民族・文化との闘い、

融合、混合)があり、

 

 

今、向かいつつある1%の人々によって

富が独占される社会も、

その延長上にあるようです。

 

 

ノルマン人の先祖を持つフランス人作家

オリヴィエ・ジェルマントマ氏は、

著書『日本待望論』の中で、

 


「いまや世界は、精神的にも

文化的にも空洞化しています。

 

 

日本文化は、開かれたものであり、

ドグマの虜にならないという特性を持ち、

 

 

そのことによって貴国は史上初めて、

普遍的メッセージをもたらしうる

位置に立とうとしているのです」と

述べています。

 

 

以上見てきたように
「閉ざされた島国根性」と「開かれた島国根性

があると言ってよいでしょう。

和の心

こんにちは。

 

 

美紗です。

 

 

「和をもって尊しとなす(以和為貴)

という有名な聖徳太子の言葉があります。

十七条憲法(西暦604年)の第一条。

 

 

いろいろな訳や解釈はありますが

「和・調和」の心をもってお互い話し合えば自ずから物事の

「理」が通じ不可能なことはない」

と言っていると考えていいでしょう。

 

それを約1300年前から、

国としての大事な価値観として

打ち出しているとすると驚きです。

 

 

英語だと、Cherish the harmony among people

harmony is to be valued ,

harmony is of our top priority などが出てきます。

 

 

しかし、敢えて定義づけると、

「和の心」とは、「個人を重視するのではなく、

 

 

集団における秩序や調和、

また礼儀を重んじること」

ということになります。

 

 

確かに私たちは、世界的に見て、

過剰なまでに「集団主義」を

貫いているといえるでしょう。

 

 

また、集団の中で

相手の意思を読み取り、

波長を合わせて行動をし、

決して争わずに調和を保っています。

 

 

この「調和」は、

「平和」にも通ずる部分であり

2011年に起きた東日本大震災

世界各国が絶賛した点です。

 

 

 

私たちは、互いを信頼し、集団行動での

ルールを守ることができ、

決して他人に迷惑を

かけたくないのです。

 

 

他者を疑わないという世界的にみると

大変なnaive (世間知らず、

だまされやすい、純情)

な心でもあります。

 

 

外交が諸外国に比べて

上手くない理由になるかもしれません。

 

 

この国民性は一方で現代社会において

「個々の個性を潰す」「自己表現が下手」と、

国内外でバッシングされる対象に

なっています。

 

 

確かに第二次大戦後、

西洋思想や文化が

大量に輸入され、

 

 

それらに無意識に影響を受け、

日本らしさと西洋思想の狭間で、

日本人らしい「和の心」は

姿を変えつつあります。

 

 

それでも、第二次大戦直後の日本は、

この「和の心」や「和の精神」で

互いに手を取り合って、

めまぐるしい発展を遂げたのです。

 

 

終身雇用、年功序列、等の言葉が

浮かびます。

 

 

これから先、

西洋式個人主義と日本式集団主義

緩やかに融合していくものと思われますが、

それでもなお「和の心」は、世界の中で、

日本人の美徳として受け入れられています。

 

 

 

和」の精神は、

日本列島に移住した人々を融合させ、

日本民族を形成した原動力でした。

 

 

この世界にもユニークな精神は、

日本の自然の中で

発達したものと言えるでしょう。

 

 

 日本の気候は、

温暖・湿潤なモンスーン型です。

 

 

日本列島は四季の変化に富み、雨量が多く、

照葉樹林を中心とする森林に

覆われています。

 

 

海・山の食糧が豊かで、猛獣が少なく、

大変生活しやすい自然環境です。

 

 

こうした風土が長年のうちに人々に影響し、

「和」を好む性格が

形成されたと考えられます。

 

 

 この性格は、人間だけではなく、

日本の動物にも見られる特徴です。

 

 

 

例えば、日本蜜蜂の群れの中に

西欧蜜蜂の一群を放すと、

日本蜜蜂は平気で西欧蜜蜂と一緒に

同じ蜜を集めて、共存共栄します。

 

 

 

しかし、西欧蜜蜂の一群の中に

日本蜜蜂の一群を入れると、

西欧蜜蜂は襲いかかって

日本蜜蜂を全滅させてしまいます。

 

 

日本の風土は温暖・湿潤で花が多く、

蜜を集める対象が豊かです。

したがって、蜜蜂は新来者とも

共存共栄ができます。

 

 

ヨーロッパの場合は花が少ないので、

共存していたら、蜜が足りなくなって

冬が越せなくなってしまいます。

 

 

同時に、熊蜂など天敵が

ひじょうに多いので、用心が要り、

攻撃的です。

 

 

日本では天敵が少なく、受容的です。

こうした風土の違いが、

日本の蜜蜂の性格を

温和にしているのでしょう。

 

 

 

 日本文化に深い理解を示した

アンドレ・マルローは、

 

 

「日本以外の美術は必ず

何らかの形で闘争が表れているが

日本美術だけは闘争を表していない」

と指摘しています。

 

 

マルローの研究家・竹本忠雄氏は、

この違いを「大陸的~コンチネンタル」と

「非大陸的~ノンコンチネンタル」の違いと

表現しています。

 

 

竹本氏は「日本だけがノンコンチネンタルなのです。

コンチネンタルなものの考え方の特徴は、

ものを対立的にとらえることです。

それは西洋に限らず

 

 

 

日本以外の国はほとんどそうである。

一方、日本人は

対立よりは和合をという国民性なのです」

と言っています。

 

 

 

「非大陸的~ノンコンチネンタル」とは、

海洋的ということです。

 

 

 

日本民族の性格への自然の影響では、

海洋の存在が見逃せません。

 

 

日本は、四方を海に囲まれた島国であり

太平洋、日本海東シナ海などに

全体を包まれています。

 

 

このことが、日本列島のユーラシア大陸とは

異なる自然環境となっています。

 

 

陸地が固定的であるのに対し、

海は、常に躍動して変化に富んでいます。

 

 

船に乗るとわかるように、

海では波が休むことなく上下動し、

潮流が刻々と変化して流動しています。

 

 

また、海は生命発生の場所であり

海には生命のエネルギーが

みなぎっているのです。

 

 

特に日本列島付近では、

暖流と寒流がぶつかりあい、

豊かな漁場が生み出されています。

 

 

 

ユーラシア大陸から日本列島に

移住してきた諸民族は、

こうした海洋の影響を受け、

 

 

大陸型の性格から、海洋型の明るく

陽気で、平和的な性格に

変化していったと考えられます。

 

 

 

 このように、日本の自然は

人間の性格に影響を与え、

独自の民族性を育んできました。

 

 

日本精神の特徴は、

「和」の精神と言われるように、

共存共栄・調和の精神です。

 

 

この精神は、今日の地球で

求められているものです。

 

 

地球は、人類にとって

かけがえのない星であり、

地球という限られた環境で

様々な人種・民族・国民が

 

 

一緒に暮らしていくためには

戦争や対立ではなく、

共存共栄していかなければなりません。

 

 

私たち日本人は、世界にも

ユニークな精神的特徴を発揮し、

世界の平和と発展に貢献したいものです。

 

 

【追記】

 

 

「和」とは、元来「わ」

という音の日本語です。

その「わ」にシナの漢字の「和」が

あてられたわけです。

 

 

 作家の井沢元彦さんによると、

本来「わ」には「環」や「輪」の意味しかなく、

環濠集落(堀をめぐらした集落)を

表す言葉でした。

 

 

それが、集団や仲間の意味を

表す言葉となり、

 

 

シナ人に、自国の意味で

「わ」と言ったところ、「倭」(背が小さい

、体が曲がっているなどを意味)という

文字を当てられました。

 

 

その後、「わ」は、

集団的な協調の精神や

アイデンティティをも意味するようにもなり

 

 

 

日本側の要望により、

国名の文字を「倭」から「和」に

代えてもらったのだろう

と井沢さんは考えています。

 

 

 

さて、かつて日本列島に

住みついた人々は、

「わ」すなわち環濠集落を作って、

小集団が分立していました。

 

 

その小さな集団が段々と国家を形成し、

より大きな国家に統合されていきました。

 

 

 

その過程では、戦争もあったでしょうが、

統合の多くは、話し合いで決まっただろうと

考えられます。

 

 

というのは、日本の神話には、

諸外国に比べて、

戦争の記載が少ないのです。

 

 

日本の温和な気候の影響が

大きいでしょう。

 

 

 

 そして、人々には、

対立・抗争よりも調和・融合を

よしとする「和」の精神が育まれ、

 

 

一つの民族として

融合・形成されてきたと考えられます。

 

 

謝るときのフレーズ

こんにちは。

 

 

美紗です。

 

 


日本語では、

実にさまざまな場面で

「すみません」の表現が

使われています。

 

 

謝る、お礼を言う、依頼する、

声を掛ける、席を外す、軽く詫びる

真剣に謝る場面でも使われます。

 

 

日本語の「すみません」は

多種多様などんな場面状況にも

使えますが

 

 

英語では

各場面に応じたより率直な

表現で言い換える必要がある

 

 

という思考方法が身につくと、

英会話フレーズは

自然で通じやすいものになります。

 

 

英会話の上達のコツは

「何気なく使っている日本語を

あらためて意識すること」

 

 

というつもりで、状況別に解説

していきます。

 

軽く謝る・詫びる意味で用いる場合

 

日本語で最も多い

「すみません」の使われ方は、

軽い(さほど深刻でない)お詫びの

意思表示でしょう。

 

 

これは「失礼します」と言い換えた方が

ぴったりハマる場合が多くあります。

 

 

Excuse me.

失礼しました、ご容赦ください

 

excuse は(主に軽度の過ちについて

「非を免じてください」と述べる語です。

 

 

すれ違いざまに肩がぶつかったり、

目の前を横切ったりするような場面で

用いられます。

 

 

「失礼します」「おっと失礼しました」

というような、深刻でない事柄について

お詫びするニュアンスです。

 

 

 

「許してください」というよりは

「ごめん下さい」のほうが

合うかもしれません。

 

 

「遅くなってすみません」

というような場合には 

Please excuse my lateness. のような

表現も使えます。

 

Pardon me.

失礼します、失礼ですが

 

pardon excuse と同じく

「許す」「大目に見る」といった意味で、

軽く詫びる場面で用いられる表現です。

 

 

Pardon me. は Excuse me. よりも

丁寧なニュアンスのある表現で、

見知らぬ人に紳士的に

声を掛ける場合などにも使えます。

 

 

尻上がりの調子でPardon ?の様に尋ねると

「失礼ですが(もう一度仰っていただけますか)」

という意味合いの表現になります。

 

 

お詫びの意味で使う場合には

文末を下げる調子を意識しましょう。

 

I beg your pardon.

申し訳ありません、恐れ入ります

 

I beg your pardon. は 

さらに丁寧に述べる表現として使えます。

 

 

改まった場面やかしこまった場面に

ふさわしい表現といえます。

My bad.

ごめんよ

 

My bad. は俗な表現(スラング)で、

「あ、悪い」くらいの軽度の詫び文句として

使われる言い方です。

 

気さくな相手に、深刻でない

軽いうっかりを謝る程度に使われます。

 

ちゃんと謝る、心から詫びる意味で使える表現

I’m sorry

ごめんなさい、申し訳ありません

I’m sorry を文字通り訳するなら

「残念に思っております」です。

 

 

私は申し訳ない気持ちでおります、

と表明することで、

お詫びの気持ちを

伝える言い方です。

 

 

sorry はそれほど深刻でないニュアンスの

詫び文句としても使えます。

 

 

誤りを指摘されて「あら、すみません」と

述べる場面で Oh, sorry. と言ったりします。

 

 

sorry は自分の非を詫びる意味合いだけでなく、

相手の悲痛な心境に同情して

自分も残念な気持ちになる=「気の毒に思う

という意味合いでも用いられます。

 

 

この点でも「ごめん=sorry」のような

短絡的な言い方だけではなく

 

 

 

「本当にすみません」くらいに

心を込める場合には very を含めて

 

 

 I’m so sorry. や 

 I’m very sorry.  と表現できます。

 


さらに誠心誠意を込めるなら

 I’m truly sorry. や 

 I’m terribly sorry.  と言ってもよいでしょう。

 

 

I apologize for ~

お詫び申し上げます

 

直接的に「お詫び申し上げます」と

述べることで明示的に

謝意を表明する言い方です。

 

 

I apologize for causing you concern.
ご心配をおかけしてどうもすみません。

I apologize for taking time.
お時間をいただいたきすみません。

 

 

I apologize ~の表現は

定型フレーズでもありますが

普通の平叙文でもあり、

 

 

さまざまな語句を挿入して

ニュアンスを追加できます。

 

   I must apologize  ~お詫び申し上げなくてはなりません)

☆   I sincerely apologize ~(心からお詫び申し上げます)

☆   I must apologize to you for ~ (あなたに~を謝らなくてはなりません)

 

 

「本当に申し訳ありません!」と

平謝りに謝る場合の表現としては

 I owe you a thousand apologies. 

という言い方もあります。

 

 

感謝を示す場面で使える表現

日本語の「すみません」には、

相手の好意や厚遇に対して

恐縮していることを伝える

使い方があります。

 

つまり感謝の言葉としての

意味合いです。

 

「ありがとうございます」と

言い換えても何ら不自然ではない場面で

「どうもすみません」と言うような状況が

意外とあるものです。

 

 

英語では感謝は

率直に感謝の言葉として伝えます。

ここは日本語と英語の考え方の違いが

顕著に現れる部分といえるでしょう。

 

 

Thank you for…

ありがとうございます

 

たとえば、日本語なら

「わざわざ来て頂いてすみません」

とでも表現できる場面では、

 

 

英語なら「はるばるお越し頂いて

ありがとうございます」のように

表現する言い方が標準的です

Thank you for visiting.
来てくれてありがとう

 

 

とっさに「すみません」と言ってしまいそうな

場面に出くわしたら、

英語なら Thanks! (ありがとう!)

と言うべき場面ではないか

と疑ってみましょう。

 

 

厚意を受けた際に

英語のお詫びのフレーズを返すと、

あらぬ誤解の元になります。

 

 

相手が意図を察してくれることも

あるかもしれませんが。

 

 

いずれにしても、感謝の気持ちは

率直にポジティブに表現したほうが、

互いに明るい気持ちになれるはずです。

 

お店で声を掛ける場合に使える表現

Excuse me.

ちょっとすみません

Excuse me. は相手の注意をひき、

足を止めてもらう場面でよく使われます。

 

 

街頭で声を掛けるような場合にも」

使えますが、レストランで

ウエイターを呼ぶ場面などでも使えます。

 

Hello?

ごめんください

お店で店員さんが見当たらない場合に

「すみませ~ん」と呼ぶような状況は、

英語では「こんにちは~」のように

挨拶して反応をうかがう言い方が一般的です。

しかるべき場面でしかるべき表現を

日本人は何事においても

「すみません」を口にする傾向があります。

 

 

それは「和」を尊重する、

事を荒立てないように計らう

日本的な美徳でもあります。

 

 

言い換えれば、

日本文化に根ざした考え方であり、

 

 

西欧文化とはまた違った

(異質の)感性の表れと

言うこともできるでしょう。

 

 

日本語的な感覚で

(「すみません」に対応する

表現のつもりで、

 

 

社交辞令的なニュアンスで)

I’m sorry. を多用していると、

もしかすると「いざこざで自分の非を

認めたことになって

 

 

立場を危うくする」ような状況も

生じるかもしれません。

 

 

とはいえ、英語文化の中でも

《謝罪は禁物》ということでは決してありません。

 

 

謝るべき場面では

きちんとお詫びの気持ちを

表明することが大切です。

 

 

要は英語表現の意味を正しく理解して、

正しい場面で用いること。

 

 

謝る時には謝る、

感謝するときには感謝する。

そういった言葉の区別が大切です。