島国根性

こんにちは。

 

 

美沙です。

 

 

島国根性(IInsularity)という表現は、

イギリスにもあります。

 

 

島国根性」とは「考え方が均質で

狭量で異文化に対する理解が好くない。」

と解釈出来ると思います。

 

 

果たしてイギリスは当てはまる

のでしょうか?

 

 

日本とイギリスの歴史を

簡単に振替えってみましょう。

 

 

日本で、古記録古事記)が

編纂されるような7世-8世紀紀頃には、

 

 

 

 

イギリスではすでに約5世紀頃から、

アングル人、サクソン人

"Anglo-Saxon"アングロ=サクソン)が

 

 

侵略していて自分達の言語や

文化を強制します。

 

 

 

アングル人の住んだ地域は

アングラランドと呼ばれ、

イングランドの語源となります。

 

 

その間、混血も進みます。

さらに北欧の"Viking"バイキングが

この島を征服します。

 

 

そして1066年には”Normans"ノーマン人(ノルマン人とも)が

英仏海峡を渡って押し寄せてきます。

いまのフランス人です。

 

 

そしてまた混血が進み

イギリス人の祖型に

なるわけです。

 

 

イギリス人の中には

先祖がノルマン系と言う人が

沢山います。

 

 

イギリスの歴史は民族、

文化の「混合」のうえに

成り立っているのです。

 

 

そこが同じ島国とはいえ、

日本の成り立ちと根本的に

異なる点だと考えられます。

 

日本とイギリスの「島国根性」の違い

 

世界にはいろいろな島国が存在しますが

どういうわけか島国根性

もっているのは日本人だ

ということになっています。

 


イギリスも島国ですが、

イギリス人は視野が狭く、外界に対して閉鎖的だ

とは誰も言いません。

 

 

日本で使う「島国根性」の語源は

朝鮮半島における

対日差別の用語として使われた

「島国」と言う言葉を

 

 

戦後の政治評論家などが

日本の文化や考え方を

否定的に論評した時に

比喩的に使われたと推測されます。

 

 

 

この言葉は、日本人が

自分たちのために発明した

自己叱責、自己告発の

言葉であると言えるでしょう。

 

 

確かに日本は四面海に囲まれた島国で

隣国とは海の彼方にあり、車で三十分ほど

走れば国境だというヨーロッパ大陸とは

事情が異なります。

 

 

島国を囲む海を「外界を隔てる壁」
と捉えれば広辞苑の
「他国との交渉が少ないため
視野がせまく 閉鎖的でこせこせした性質」


よく言えば「共同体の中での協調精神、
勤勉、誠実」という島国根性になり
これらは「農耕民的島国根性」と言えるでしょう。

限定空間社会では、
こうした協調精神とともに
勤勉さ、誠 実さが尊ばれます。


見知らぬ土地へ行って一山当てようとか、
人を騙して一攫千金の儲けをあげて、
他国に高飛びしよう、
などということはできません。


狭い島の中で肩寄せ合って
暮らしていくためには、
自分の仕事に精を出し
頑張っていくしかありません。



商売をするにも、一度でも人を騙したら、
すぐに悪い噂が島中に流れ商売は
あがったりになってしまいます。


勤勉さ、誠実さが、限定空間社会で
成功する要因になるのです。



こうして、島国では協調精神、
勤勉さ、誠実さを基調とする
社会が成立しやすいのです。


大陸国のように、
お互いに騙しあったり 猜疑心を持ち
争ったりする事が少ないので、


自ずから豊かな平和な社会と
なりやすいと言えます。

 

それに対し「海洋民的島国根性」と
言えるものがあります。
周囲の海を「海外とつながる道」だと
捉えれば、


その海を通じて外国と
交易をしたり、移住したり、
時には侵略して植民地としたりする
進取の精神が生じます。



海洋的島国根性の代表が
イギリスでしょう。
ヨーロッパの東端の小さな貧しい島から、
世界各地に作った植民地から搾取ました。


15-17世紀から始まった植民地政策が
19世紀までには
世界の7つの海を支配する
大帝国を築き上げました。

 

日本で物部氏が滅ぼされ、

蘇我馬子崇峻天皇を殺し、

 

 

飛鳥の地に多くの寺が建立され、

聖徳太子が「和をもって尊しとする」と

述べていた頃、

 

 

それまでイギリスに住んでいたケルト族は、

大陸から侵入してきた

アングロサクソンにより殺戮されて、

 

 

生き残りはアイルランドあたりの

北方に追いやられてしまいました。

 


アングロサクソンが島を支配して

しばらくすると、九世紀初めには、

スカンジナビア半島からバイキングが

やってきて大恐慌をきたします。

 

 

日本ではちょうど唐の長安に倣って

平安京をつくり、朱雀門と羅城門を結ぶ

朱雀大路大宮人が散策していました。

 

 

 

最澄空海が唐から帰り、

あちこちで蝦夷支配がすすみ、

歴史書「古語拾遺、887年」が

出来上がっていました。

 

 


バイキングは猛々しい荒くれ者で、

掠奪、暴行、破壊、殺戮が

二世紀にわたって

 

 

 

イギリスの隅々まで行きわたりましたが、

アングロサクソンを根絶させることは

出来ませんでした。

 


 一方日本では、11世紀中葉、

かな文字の傑作(源氏物語、枕の草紙、

土佐日記等が次々と生まれ、

 

 

 

 

 

平等院の鳳凰堂が完成し、

比叡山延暦寺の僧兵が

盛んに強訴していました。

 

 

その頃、イギリスでは

有名なNorman Conquest 1066年

「ノルマン人による征服」が遂行されました。

 

 

大陸からノルマン人が大侵入して戦争となり、

王をはじめそれまでの支配者は追われ、

あるいは殺され、イギリスは

ノルマン人の支配下になりました。

 

 

 

そこで民族の大混血が起こり、

また、アングロサクソンの言語と

ノルマン人の言語であるフランス語が、

 

 

それから数百年にわたって混合し、

今日の英語の基をつくることになったのです。


極東の先進国である日本と、

極西の先進国であるイギリスは、

ある意味、人類文明の両極に

あるともいえます。

 


産業革命以来、人類の文明は

飛躍的な変化を遂げましたが、その中心には

イギリス的な島国根性(異民族・文化との闘い、

融合、混合)があり、

 

 

今、向かいつつある1%の人々によって

富が独占される社会も、

その延長上にあるようです。

 

 

ノルマン人の先祖を持つフランス人作家

オリヴィエ・ジェルマントマ氏は、

著書『日本待望論』の中で、

 


「いまや世界は、精神的にも

文化的にも空洞化しています。

 

 

日本文化は、開かれたものであり、

ドグマの虜にならないという特性を持ち、

 

 

そのことによって貴国は史上初めて、

普遍的メッセージをもたらしうる

位置に立とうとしているのです」と

述べています。

 

 

以上見てきたように
「閉ざされた島国根性」と「開かれた島国根性

があると言ってよいでしょう。